さすぼしの歩み

創業当時 - 昭和初期

その昔、蒲鉾などの練製品は漁師の自家用食でした。
捕れた魚を保存食として食べられるように、すり身状にしたものを蒸して練製品を作ったそうです。
由比港に近い、さすぼし水産では明治23年から蒲鉾を造り始めました。
主な出荷先は東京の魚河岸。 現在は築地にありますが、当時は日本橋にありました。
東海道線の駅はまだ由比駅はなく、最も近い駅は岩淵駅(現在の富士川駅)でした。そこまで荷車で運んでいました。

昭和初期

三代目・猶吉(なおきち)の記憶によると、昭和17年頃まで由比港にあった巾着船(※)でイワシが水揚げされ、二代目はそのイワシを工場まで運び、黒はんぺんを造っていたそうです。
この頃には、黒はんぺんや蒲鉾は、自家用食として一般に販売されるようになり、需要も次第に増えていきました。
※巾着のような形に網を張る漁船のこと。二隻の船で挟み込んで魚を捕るのが特徴。


昭和中期

機械を導入していない当時、製造はすべて手作業でした。
三代目・猶吉は、「門前の小僧・・・」で、蒲鉾や黒はんぺん作りを身につけ、その伝統を受け継ぎました。
さらに小田原での修行を経て、蒲鉾造りの技術と「さすぼしの味」を確立しました。
また当時は、冷蔵・冷凍技術が発達していなかったため、製造時期は夏以外に限定されていました。

現在

その後機械化が進み、練製品も大量生産化に変わりました。
さすぼしが機械を導入したのは最近の話ですが、昔ながらの手造りの良さを分かって頂くために、今も手造りの蒲鉾、黒はんぺんを作り続けています。